第12回 胃袋

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ご無沙汰したしました。新年の場面から始まる「食道楽」に合わせ、ちょうどこのブログも新しい年を迎えたところ、受験、卒業入学シーズンを超えて、一気に春となってしまいました。春爛漫、気分も一新して、また再開です。

場面はちょうど大原がお目当てのお登和嬢の気を引こうと手料理をいただいているところ。さて、大原の計画は上手く運ぶでしょうか。

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人の無常は怨んでも仕方がない。

大原はせめてお登和嬢の手料理を飽食してその心をとらえようと「お登和さん、あんまりお料理が美味しゅうございますからお汁をもう一杯お替りをお願いしたいもので」と苦しさをこらえてお替りの催促をした。

娘はほめたたえられるほど張り合いがあって「ハイ何倍でもおかえ下さい。ついでにそぼろと角煮もモー一皿ずつ召し上がったら如何です。豚饂飩をおかえください」と言う。大原は「ハイハイ何でも戴きます。あなたのお手料理とあるから格別の味がいたします」と答えると、お登和は「どう致しまして誠に不出来でお恥ずかしゅうございます。国の母がおりますともっと美味しく拵えますけれども」ととかく返事が横にそれる。大原はもどかしそうに「イイエあなたのおこしらえなすったのが何よりです」と言葉に力を込めて言うが娘はよく聞きとらずに台所へ立っていった。

主人の中川が大原の言葉に答え「君、僕の母は料理が上手だよ。妹如きの者ではない。母の手料理を君に食べさせたいね」と言った。大原は「イヤ僕は妹さんのに限る」と言った処へお登和嬢がお替りの品々を持ってきた。

大原は手を出して盆の上より受け取り「これは憚りさま(はばかりさま)、今度は最初よりもたくさんですね。少しお待ちください、もはや酒の刺激力が利かなくなりましたから甚だ失礼ですけれども少々御免お許し願います」と言った。「何をするのだ」と主人は言ったが、大原は「妹さんの前で甚だ相済まないけれどもせっかくの御馳走を戴くために今袴を脱いで帯を弛める。さっきから帯が腹に食い込んで痛くってたまらない。帯を弛めるとまた二、三杯は食べられる」と言った。

「驚いたね、腹の皮はゴム製に違いないが、君のはもはや弾力失って伸びたら縮まらん。お登和や、あんまり沢山お盛でない。もし大原君の腹の皮が破裂したら大変だ。しかし大原君、君の腹の容積にも限りがあるだろうが、よくそんなに入るね。一朝一夕に胃袋を拡張させようとしても到底そうはなれる者ではない」

「全く子供の内の習慣だ。僕の田舎では赤子がまだ誕生日も来ない内から飯でも餅でも団子でも炒り豆でも何でも不消化物を食べさせる風習があるから大概の赤子は立つことも碌にできなくても茶漬け飯を茶碗に一杯位食べるよ」大原がそう言うとお登和は思わず「オホホ」と笑い出した。

主人はおかしさよりもは心配が先に立ち「それではお腹ばかり膨満してしまい身体が発達しないだろう」ときいた。

「勿論さ、大抵の小児は脾疳(ひかん)という病気のように手も足も細く痩せて腹ばかり垂れそうになっている。赤子というものはこういうものと僕は信じていたが東京に来て初めて手足の太った赤子を見た。それでもいい具合になってるもので十才以上まで成長すると山の奥の寒村だから自然と山や谷を飛び歩くようになって手足も初めて発育する。その代わり十歳くらいの子供でも東京辺りの大人くらい食べ物を口にするね。大きくなったら三倍ないし五倍だろう。女でも大概一升飯を平らげる。誰だか僕に話したよ、僕の地方へ来て農民が重箱より大きな弁当箱を下げているか家内中の弁当を一人で持っていくのかと思ったら食べている時見たらひとりで平らげたと驚いていた。僕なんぞは国に帰るとまだ小食のほうだよ僕くらいの年の者は雑煮餅の三十枚くらい平気だからね。よそのうちへご馳走のお客にでも行ってみ給え、お強い鉢(おしいばち)といって倒れるまで食べなければ承知しないから」と、大原は答えた。

日本の地方にはいたるところにこのような弊害があるのだ。

○小児の時胃袋を広げてしまうのが生涯の病となる。親たるものはよく注意をすべし。

○我が国の習慣として小児が茶碗の中の飯を残すともったいないから食べておしまい、と母親が強いて子供に用量以上のものを食べさせるのは最も大きな害である。牛乳が少量コップに残っても、もう少しだからみんなお飲みと強制するのも害は同じである。子供は正直なもので、胃が食べ物でいっぱいになればイヤと言う。それ以上を強いれば必ず胃袋を拡張する。

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お久しぶりです。みなさまいかがお過ごしでしたでしょうか。

いつの間にか春になりました。うちの胃拡張娘も御多分に漏れず黒いスーツを着て入学式、まるで女子大生のように見えました。っておかげさまで女子大生になったのですけど何かと多事多端、ブログが書けずにおりました。

『食道楽』は全360回。とりあえず今日で12回・・・。先は長いですが、「受験生の母」も済んだことですし、楽しく、スピードを上げて、というか、きちんと定期的に書いていきたいと思います。


この回で弦斎は大食の害を説いていますが中でちょっと怖いことを言ってますね。大原の田舎では赤ん坊の内からおなか一杯にご飯を食べさせおなかばかり膨れて手足が細い子供になってる、とか。

脾疳というのは小児の慢性消化器障害で、身体はやせるのに、腹部が以上に大きくなり、広辞苑によると食欲が不定期に増進するとなっています。

大原の田舎がどこであるかわかりませんが以前民俗学の本か何かで、とにかくたくさん食べる、食べさ

せる地域の話を読んだ記憶があるので、こういう風習の地方はあったのでしょう。科学的というか、合理的な育児理論などないころ子供にはとにかく食べさせることが大切であり、命をつなぐことだという考えでしょうか?

そして昔だからって貧しいばかりではないのですね。こんな食いしん坊の大原も子供の時からの大食いでお腹を養ってきたようですし、野良に出る農民も重箱のようなお弁当箱を下げて働きに出ていたようですから、豪華でなくともしっかり食べるだけのコメや麦、味噌などはあったということですね。

しかししかしそんなに食べたら仕事もできないのではないかしら。

お昼は軽く、豚饂飩でもどうでしょう。

豚饂飩って初めて。西日本の人間なので、肉と言えば牛肉、肉うどんは牛肉の甘辛く炊いたものを載せた饂飩のことです。まあ、肉うどんがあるなら豚肉饂飩もあっていいか…と作ってみました。

昆布だしに、先にさっと熱湯をくぐらせた豚ばら、油揚げ、豚肉と相性の良い大根を入れ程よく炊けたところにしょうゆ少々で極あっさりとしたお饂飩にしました。

薬味に生姜を載せて。

 

美味しうございました。