第1回 腹中の新年

 

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今日から「食道楽・春の巻」本編に入ります。

『食道楽』は明治36年(1903)1月から12月まで、当時の家庭向け新聞の雄「報知新聞」に新聞小説として連載されたものです。ですから、一話ごとの分量も少なく、その少ない紙幅にこれでもかというくらいいろんなトピックがが盛り込んであります。そのため改行も少なく一文が長く読みにくいところがありますが、そこはこちらで少し補いつつ進めたいと思います。

さて、「食道楽」第1回は明治36年1月2日の掲載でした。

現実世界に合わせて小説の舞台もお正月ですが、それはおなかの中のお正月。新年のごちそう攻めにあい、消化吸収に休む暇もない胃の胃吉と腸の腸蔵が文句を言いあうところから始まります。

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第1回  腹中の新年

 

今日は正月の元日で、天地乾坤自然にのどかな空気に包まれている中、ここにも春風が吹いてきたようだ。腹の中で胃吉と腸蔵が新年を祝っていた。

「おい、胃吉さん、おめでとう。」

「やあ、これは腸蔵さん、去年はいろいろお世話様でしたね。また相変わりませずか、あはは。時に腸蔵さん、今日は正月の元日といって、一年に一度の日だからお互いに少し楽をしたいね。私たち位年中忙しくってみじめなものはないぜ。娑婆の人間は日曜日だの暑中休暇だのと壱年の中にはたくさん休みがある。いくら忙しい奉公人でも盆と正月に藪入(やぶいり)があるけれど私たちばかりは一年中休みなしだ。私は一日に三度ずつ働いていれば自分の役が済むのに、ここでは間食が好きで三度の他にヤレ菓子が飛び込む、団子が飛び込む、酒も折々流れ込むからホントたまったものじゃない。だから自然と仕事も粗末になって荒ごなしの物をお前さんの方へ送ってひどく叱られたりするけれど、これからはお互いに仲良くしようじゃありませんか。」

「それは私も大賛成さ。お前さんはこなすのが役目、私は絞るのが役目だから、お前さんのほうでよく食べモノをこなしてくれれば私だって絞る仕事が楽というものだけれども、毎日の様にこなれてないものをよこすものだから、時によってはお前さんのほうへ突き返したり、時によっては下の方へ押し流したりすることもあるのさ。荒ごなしどころか時には丸のままで送ってよこすこともあるからついケンカも始めるようなことになるのさ。今朝の雑煮餅だって随分荒ごなしだったぜ。」

「あれは堪忍してほしい。今日は元日だから楽をしようと思っているところへ、朝の雑煮餅が飛び込んだとも、飛び込んだとも、18枚も飛び込んできた。それもね、玄関番の歯太郎さんがよく噛み砕いてからよこしてくれたらいいけれど、今朝なんぞは歯太郎さんが遊んでいてまるで鵜呑みだからね。その代わりおかしいことがあったぜ。歯太郎さんのお内儀さん(おかみさん)のお金(きん)さんがもちに引っ付いて釣り上げられてもう少しで喉の穴に落ちるところさ。カッと言って吐き出されたから口の外へ飛び出してやっと助かったけれども一時は大騒ぎだった。そもそも、お金さんは前のほうにいるから何の役にも立たないのさ。奥の方に座っていなければ食べ物をかむことができなかろうにねー。」

「それは全く見栄だからだよ。見栄のためにお金さんを前のほうへ置くのさ。肝腎の奥の方はおゴムさんなんぞに任せきりだから歯太郎さんだってろくな仕事ができない。仕事を大切に思ったら、前の方はおゴムさんでも何でもいいけど、奥の方こそお金さんに手伝わせなきゃあしようがない。正月そうそうお金さんもとんだ目に逢いなすったね」

「まあ、何しろ、今日はお互い遊びたいものだ。私たちだってたまには休息もしなければ、根気が尽きて益々働けない。娑婆にある大きな蒸気機械も、折に触れて休息させて大掃除もしなければゴミがたまったり油が切れたりして、じきに機械が壊れてしまう。機械は壊れても取り換えることができるけれども、私たちばかりはかけがえがない。随分心細いものさ。」

と夢中になって話しているところへ、何やら赤い水が上より流れてきた。胃吉は驚いて「おやおや、何か来たぜ、妙なものが。うむ、お屠蘇だ。紅絹(もみ)の布きれに包んでみりんに浸してあるから紅絹の染色が一緒に流れてきた。腸蔵さん、すぐにそっちへ廻してあげるよ。」

「いや、まっぴらだ。」

***************************************お正月にお雑煮でいっぺんに18個もお餅を食べたんですね、この胃の持ち主は。

昔は年の数だけ餅を食べろとかなんとかおばあちゃんが言ってました。節分のお豆じゃないんだから、と思いますが、一年に一度おなか一杯もち米で搗いたおもちが食べられる、ということで、昔の人はここぞとばかりに食べてようです。そして、お正月だというのにお餅も買えなかった貧しいおじいさんとおばあさんの家にはお地蔵さんが持ってきてくれたりしたみたいです。昔は。

 

さて、弦斎は一話一話に詳細な注釈をつけています。第1話については・・・

 

○歯で咀嚼→唾液ででんぷんを糖分に変え→胃で胃液によって化学変化→小腸に入って腸液、膵液、胆汁の消化作用を受け、消化したものがもうう脈を通じて肝臓に入り、ここで消毒作用を受け、栄養として体中に吸収される。
○何人も折々は断食して胃腸を休ませるべし。食事時間が来ても、おなかが減ってないのに強いて食べるのは有害である。

○屠蘇を紅き布に包むのは有害である。白布かガーゼにするべし。

○雑煮を作るときは汁の中へ大根を入れるべし。大根は化学作用で餅を消化させる。

○餅を食べるときはいつでも食後に大根か大根おろしを食べるべし。

 

19世紀は科学の世紀。ヨーロッパでは神学を離れ、解剖学や生理学が大変に進みました。弦斎も人体の器官を擬人化することで、読者の食に対する態度を啓蒙しようとした姿が見て取れます。そこのおばあちゃん、いくらハレの日でも、一度にドカ食いはいけません。孫に勧めてはいけませんよ、と。むしろ胃腸は適度に休ませ、おなかがすかなければ食べなくてもいい、というのはまさに現代のファスティングに近い考え方。

断食療法というのは、抗生物質や、投薬で何とかしようという現代医学以前には、よくあった考え方のようです。下痢や胃痛があるときは、重湯とか、せいぜいおかゆで、我慢できるなら2,3日白湯で過ごす。これは西洋も同じらしく、19世紀を生きた、パールバックの「母の肖像」の中で、おなかを壊した幼い兄弟が、断食療法中なので、おやつのビスケットが一人だけもらえなかったという記述があります。子供に断食!これが科学的な態度ということなのか!賢いお母さんのすることなのか!食い意地のはった小学生だった私は、パールバックのお母さんの厳しさにぞぞっとして、兄弟が食べているのに自分だけおやつをもらえないなんて!ととてもかわいそうに思った記憶があります。そして正露丸があってよかった、(おなか痛かったら正露丸飲んどき、とよく言われました)、とか思ったものです。

また、お餅を食べるときは大根と一緒に食べるとこなれがいいということは古くから知られていたことで、これもまた、おばあちゃんが「ジアスターゼが出るけえね」と言ってました。ものを食べるとき分泌される唾液によって澱粉が分解されますがその時の消化酵素がジアスターゼで、大根やカブなどに豊富に入っています。が、唾液の中の消化酵素ってアミラーゼというのではなかったか?理科で習った時は、確か。今、調べてずーっと疑問だったことが解決しました。ジアスターゼってアミラーゼのことでした。ちょっと調べれば済むことでした。はい。皆さんとっくにご存じだったかも。

ところで、お屠蘇ですが、この時代屠蘇散を紅絹で包んで、赤いお屠蘇を飲んでいたとは知りませんでした。紅絹の紅色は邪気を払うというので使われたのでしょうか?しかし天然色素の紅絹ならまだしもこの時代は化学染料が出て一気に広がった時代です、確かに飲んだら体に悪そう。今は白い不織布などで振り出しになっているので赤いお酒を飲む心配はなさそうです。赤いワインでお屠蘇、なんか、良いかもしれませんね。

 

というわけで、こういう実用性、啓蒙性と文学性は並び立つのか?
小説として明治文壇には全く評価されませんでしたが、「食道楽」は非常に人気を博し、さらに多くの女性たちの嫁入り道具として一つの家政全書のような位置づけで、第2次大戦後の、少なくとも1960年代くらいまでは家庭で有用の書として50年以上の命脈を保ってきたようです。そして、また今、食育ブームに乗って復刊されるなど、100年もの長い間生き続ける書物となりました。

さて、次回、胃吉と腸蔵はおやすみをもらえるのか?

つづく

 

【お詫びと訂正】

昨日この記事から前日の記事に戻れないというご指摘がありました。ブログ初心者の私の不手際で、もう一つ別のページを作って投稿していたようです。
こちら一つにまとめましたので、以後、このページで続けていきたいと思います。
昨日いいね!をしてくださった皆様、申し訳ありません。

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