第11回 門違い(かどちがい)

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***************************************手料理を人にふるまうものは先方の胃袋が耐えられるか否かは関心なく、多く食べられることを快く思うという癖がある。主人の中川は自慢顔に言った。「大原君、その四角な大きな肉を試してみ給え。箸で自由にちぎれるよ。それが長崎の有名な角煮と言って豚料理の第一等、本式にすると手数も随分かかるが非常に美味いものだ。一つ遣ってみ給え」と。しきりに薦められ、客は箸でその肉をちぎり「なるほどちぎれる。これは美味い。これは非常だ。どうしてこしらえるのだね」と聞いた。主人は笑いながら「これはうっかり教えられん。伝授料がいるよ。長崎でも同じ角煮と言いながら家によって少しずつ料理の仕方が違う。僕の家のは支那人直伝の東坡肉というのだ。今に君が家でも持ったら妹に銘じて君の御細君に教えて進ぜよう」という。大原は失望気味に「イヤそれは少しお門違い、僕は妹さんの調理された物を食べるのが望みだよ」と答えたが、当のご本人の妹も大原の心を察せず「お教え申す程にはできませんが奥さんがいらっしゃいましたらお互いに知ったことを交換していただきたいのです。小山さんにも先日お願いして南京豆のお料理を習いに行くつもりです」と何処までもよそよそしい。大原は張り合いがなくて「困りましたね、そうおっしゃっては。僕のような者の処へ嫁に来てくれる人がありません」とひそかに先方の気を引いてみる。生憎娘は何とも答えず主人が冗談に「アハハ、来てくれる人があっても君の大食いを見たら肝をつぶして逃げ出すだろう。お登和や、豚饂飩(ぶたうどん)が出来ているならわたしにおくれよ」と言った。妹は「ハイ、お客様にも差し上げましょうか」と大原の様子をうかがったが大原はうち萎れて(しおれて)黙っている。今度はお登和が張り合いなく「まことに不出来でお口に合わないでしょうから」と言ったが、謙遜の言葉も大原の耳には恨み言のように聞こえ「イエ、いただきます。なんでもいただきます。あなたのお手料理なら死ぬまでお断りしません」と自分の意気込みを知らせるつもりで言った。この時娘は料理とともに酒の調子を持って来て「兄さん、やっとお燗もできました。料理の方で火を使いましたからお湯がみんな冷めてしまって遅くなりました」と食卓の上へ置いた。主人は深くも飲まないと見えて小さな杯へ半ばほど注がせ「大原君、きみはどうだね」

「飲むさ、酒が来ればまた食べられるからね。僕は酒を美味いとは思わん。むしろ不味くって我慢する方だが腹が張った時飲むと胃を刺激して再び食欲を起こす。僕の酒は食うために飲むのだ」

「なんでも食うことばかり。アハハ、お登和や、一つお酌をしておあげ」

「有難い。この酒ばかりは特別に美味いよ」

「上等の酒を吟味してあるからね」

「ナニ、そういうわけではない。酒のおかげでまた食べられる。豚饂飩も結構だね」

「まだこのほかに豚と大根(だいこ)の料理だの、豚とマカロニだの、豚とそうめんだの、豚料理はだくさんあるから追々ご馳走することにしよう。折々遊びにやって来給え」

大原は「毎日でも来るよ」と言ったが、そういったのはご馳走を目的にしたのではない。しかるに娘は誤解をしたようで「ホントにお早く奥さんをお持ちになるとようございますね、私も遊びにうかがって色々なものをこしらえますのに」と言った。大原は再び失望して「どうぞもう奥さん奥さんと言ってくださるな。情けなくなります」

「情けないとはおかしいじゃないか、何が情けない」と聞いた。

「情けないことがあるんだよ」と大原は言ったが我が心到底他人には通ぜず。

 

○豚饂飩は一旦湯煮た豚を小さく切り、湯煮た汁に味をつけてよく長く煮た処へ饂飩を入れて再び少し煮る。汁は塩辛いくらいにし、少ないほうがよ好い。うどんの上に肉を持ってだすべし。

○豚と大根の湯煮た汁で煮るのが良い。しかし下等肉で白肉(脂身)の溶けた汁は不可。

○豚とマカロニは、マカロニを鍋で湯煮る時、下へ竹の皮かあるいは煮笊を敷かぬと焦げ付く癖がある。豚の湯煮汁にて湯煮て豚とともに味をつけて煮るべし。

○マカロニとは西洋の干し饂飩とも言うべきもので、中に孔(あな)がある。伊太利人は我が国のそばのように好んで食べる。西洋料理には種々に使うものである。マカロニと赤茄子(トマト)とを共に料理すれば味が良い。西洋では赤茄子はマカロニに付き物という。マカロニは伊太利をよしとする。

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お門違いよ。って時代劇なんかで出てくるなんだか粋な言い回しだと思っていましたが、大原には切実ですね。それは君、お門違いだ、大きな誤解だよ、実は・・・と言いたい、ズバリと求婚できぬまま…ってあなた、まだ出会ったばかりでしょう。そもそもあわよくば結婚しようと思って年始回りに来ているとはお登和でなくてもだれも思っていないでしょうが、この少々強引な設定、お登和と大原の恋の道行きが食道楽が大ベストセラーになった一因のようです。

さて、写真は中川の言う「豚とマカロニ」です。どんな料理かわからなかったので、とりあえず豚バラの塊をしばらく茹で、その鍋に、マカロニではありませんがうちにあったパスタ、ペンネを入れてさらに一緒に茹でました。豚肉は塊なので、それを薄く細く切り、深めのフライパンで炒め、そこに「付き物」と書いてあるので赤茄子のソースを入れ、さらにパスタを入れて和えました。塩コショウで味付けをしましたが、ちょっと物足りなかったので、パルミジャーノをすりおろし、さらに冷蔵庫に残っていた調理用のモッツァレラチーズも投入しました。言ってみればペンネ・ポモドーロですね。普通に美味しうございました。

でも私たちに普通でも明治に人には驚愕の味だったかもしれません。

そもそも赤茄子は食べるものか?

トマトは江戸時代には日本に入っていましたが、はじめは園芸、観賞用であったようです。西洋野菜として、食用と認識されるのは明治も半ばちょうどこの食道楽の連載が始まったころで、まだまだ食べるのも恐ろしかった人々も多かったことでしょう。夫の祖母(明治40年?生まれ)は医者の娘ではありましたが、田舎の人で、幼いころ家でトマトを貰ったがどうしていいかわからず家族で裏山に埋めたと言っていました。赤い食べ物は怖がられる場合があったようです。
赤茄子とマカロニを紹介している食道楽がいかに食の先端であったかということですね。都市と田舎の差が今よりずーっと大きかった時代でした。