第4回 南京豆

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台所といえば黒くくすぶってむさくるしいように聞こえるが、この家の台所は奥さんが自慢顔に客を連れ込むほどのことはあって、へいぜいからきれい好きなのであろうと思われ、拭き掃除も行き届きかまども板の間も光り輝くばかりである。その代わり目の回るほど忙しいのは下女の仕事だ。一人はしきりに南京豆を焙烙で炒り、一人は擂鉢で搗き砕いていた。

奥さんは客に振り返り、「大原さん、私どもでは毎日南京豆を色々な料理に使います。今まで胡桃を使う代わりに南京豆、胡麻を使う代わりにも南京豆、胡麻和えというところにも南京豆和えという風にしますが、南京豆のほうが胡桃より淡白で、場合によると胡麻よりもよほど美味しゅうございます。もっとも南京豆の中でも粒の極く大きいものや丸い恰好の者は脂肪が多くって油を取るにはようございますけれども食用に適しません。少し細長い中くらいな粒のでたいそう美味しい種類があります。それをまず、厚皮を剥いて中の実ばかりをこの通り焙烙で炒ります」

「なるほど、この匂いが今私の鼻を衝いた(ついた)のですね。町で売ってる南京豆は厚皮のまま炒ってあるではありませんか」

「あれは細かい砂を交ぜて砂と一緒に炒るのです。非常に時間がかかって家庭の料理には合わないので、簡単にして剥いたものを炒りますけれども、これも強い火で炒ると外が焦げて中に火が通りません。弱い火で気長にいるのです。良く炒れた南京豆を冷まして手で揉むと渋皮が楽に剥けますがよく炒らないと剥けません。剥いた豆はご覧のとおり擂鉢へ入れて、まず、すりこ木でよく砕いて、それから充分に擂り潰すのですがこれもなかなか骨が折れます。炒りようが悪いほどねばりついて擂れません。ひとつ擂ってごらんなさい」

「イヤハヤ僕は味噌さえ擂ることが下手ですからとてもだめです」

「男の人は誰でも台所のことを軽蔑して飯の炊きようも知らんとか、味噌を擂ることもできないとかおっしゃるけれども人間として自営の道を知らないのはあんまり自慢にならないでしょうよ。戦争に行って籠城したらどうなさいます。航海して無人島にでも吹き流されたらどうなさいます。高尚な学問や理屈は知っていても自分で自分を養う事が出来なかったら不自由ですね」

「そう言われては一言もない。しかし、それは追々覚えるとしてそれから南京豆をどうするのです」

「擂鉢でよく擂れたらお湯を適当に加えて塩と砂糖で味をつけますが、もう一層美味しくするには牛乳を半分ほど加えます。あるいはコンデンスミルクやクリームをお湯で溶いて加えるのもようございます。見てらっしゃい、下女が今上手にこしらえますから」と、一々その順序を示し、再び客を以前の客間にいざなって「サア大島さん、ようやくできました。貴君はきっと沢山召し上がるだろうと思っておおきな丼鉢へ入れてきましたからご遠慮なく何倍でもおかわりしてください」と下女に命じて南京豆の汁粉を前に出させた。客はいまだに胃吉と腸蔵に対して憚る(はばかる)ところがあって「それでは少々いただきましょう。餅はたくさんですから汁だけでも」と一口二口試してみたところ舌を打ち鳴らし「これは美味い、実に美味い、炒ってあるせいか割合に淡白ですな」

「さようです、何の料理にしてもしつこくありません。中のお餅も一つ召し上がってご覧なさい、特製ですよ」

「なるほど、この餅も軽くって何とも言われん味だ。これはなんという餅です」

「それは葛入り餅と申しまして、葛の粉少々と糯米(もちごめ)とを一緒に蒸して十分に搗き抜いたのです」

「道理で、絹漉し餅とでもいうべきくらいです。あんまり美味しいので残らず平らげました」

「おかわりをなさいまし」

「そんなにいただくと食べ過ぎになりましょうけれどもあんまり美味しいからモー一杯」と、ついに三杯までたいらげてしまった。胃吉と腸蔵はどんなに驚いたことだろう。

 

○南京豆の汁粉は濃いほど良い。奥州あたりの胡桃餅の様に南京豆餅と言ってもよい。餅のない時は白玉を用いるのもよい。

○和え物は本文の通りによく炒って擂ったものへ絞った豆腐を入れ、塩と砂糖を加えてよく擂り交ぜ、別に人参と蒟蒻あるいは蕪などを茹でこぼして醤油とみりんで味をつけ柔らかくなるまで煮て、冷めてから南京豆と和える。

○南京豆の豆腐は擂った南京豆一杯と上等葛一杯と水5,6杯の割合でよく交ぜ合わせて鍋に入れ、火にかけて十分に練り、四角な器に入れ冷やし、これを葛の餡かけにしてもよし、すみそにしてもよし。

○葛入り餅を作るときはくず粉を蒸さずに餅の熱いところへ少しづつ交ぜながらついてもよし、また糯米の粉にしたものへまぜてもよい。

○南京豆は相州相模国)産を良しとする。蛋白質2割4分、脂肪5割、含水炭素(炭水化物)1割2分あって、滋養分が多い。

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胃吉~腸蔵~、がんばれ~~!

ちょっとだけと言いつつ丼三杯も南京豆汁粉を平らげてしまった大原。この名前は弦斎が大原=大腹をかけてるに違いありませんね。それにしてもこの奥さんの勧めること。ちょっと大原がかわいそうになりました。
そして、奥さんがしっかりしていると女中もしっかりした働きを求められ大変そうですね。綺麗好きで料理好きの奥さんのお家の女中さんたちは弦斎にすら大変そうだと書かれていますが、当時はこういうしっかりしたお家で勤めた女中さんたちは良いところに縁付いてちゃんとしたお嫁さんになっていったのだと思います。奥さんたちも私的な場所である自分の家庭の中で、他人である女中さんを教育監督しながら家内の采配をし、家計を取り仕切り、時には自らが女中さんたちの手本になる様自己を制御しつつ暮らしていく、女主人として多分に修養的な生き方を求められていたようです。
明治中期のこの作品中には、下女という書き方がしてありますが、そこは必ずしも身分の上下という感覚だけではなく、下働き、仲働き、奥勤め、身の回りのお小間使いなど、職掌分担的な名称という意味合いもあるようです。

とは言え、女性の職業選択の幅が広がったこと、家電製品の発達、封建的主従関係的な人間関係が敬遠されたことなどから昭和30年あたりを境に女中という職業は一般家庭から姿を消しました。昭和40年代も末に、珍しく石屋の住込みの女中さんをしている美代ちゃんは、女中というという呼び方に対し「お手伝いさんって言ってください」と、言ってましたね。向田邦子脚本のテレビドラマ「寺内貫太郎一家」の一場面。「お、お手伝いさんだって。自分に『お』をつけて、『さん』までつけておえらいことだね、私らのころはただ女中って言ったもんだがね」と美代ちゃんに小言を言っているおきん婆さんも女中から主家の嫁に直ったひとでした。きっとしっかり者で息子の嫁にと見込まれたんですね。

というわけで、南京豆汁粉、作ってみました。
焙烙で炒ってくれる女中もいませんし、時間もないことなので、殻をむいたピーナツを150度のオーブンで10分ローストして臨みます。
本文では炒った豆を砕いて熱湯で延ばすという作り方でしたが、ちょっと丁寧に、薬膳のピーナツ汁粉を参考にしてみました。

炒ったピーナツを水と一緒にミキサーにかけて漉し、この漉しとった汁に水を加え、片栗粉を少々入れて混ぜて火にかけ、混ぜながらゆっくり加熱します。とろみが出てきたところで砂糖を加え、お好みで、本文にもあるように牛乳やクリームを足すとコクがでます。中に入れるお餅は生憎上新粉がなかったのですが、くず粉はあったので、くず餅にしてみました。

なんというか、南京豆とかピーナツとかの親しみやすく、陽気で、健康的なイメージを覆す、白く、上品で優しい一品。途中で火を入れるわけだし、生のままで作ってもよかったかもしれません。薬膳といわれるだけある。冬の朝このひと匙で体がよみがえりそうな滋味深いものが出来上がって少し驚きました。

それにしてもまるでこれを作れと言わんばかりに、偶然にも数日前に生ピーナツの情報をくださったFお姉さま。わざわざ買ってきてくださってありがとうございます。

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つづく