平成・食道楽 ~今日も美味しうございました~ はじめに

 

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明治36年の大ベストセラー、村井弦斎著「食道楽」。


全編に630種もの料理レシピを盛り込んだこの作品は単に美食、食通小説というものではないようです。食を通して生活全般の改善を目指し、文明社会に生きる近代的人間としていかに生きるべきか、という考え方をのべています。
食道楽が書かれた時代と現代では、当時にはわからなかったことが分かったり、いろいろな変化があり、ずいぶんと事情も違っていますが、子供の教育に関して「食育」という言葉を使って食の大切さ、家庭の在り方を説いていたり、世界中が肉食になったら牧草地が足りなくなるのでは?と今日の食糧事情を予測していたり、今読んでも新鮮で示唆に富んだ内容で、出てくる料理も興味深い。


このブログは、この古くて新しい、今日的な問題も提起している作品を現代語、現代的表現に訳しつつ、現代の、食と食を取り巻く社会事情と比較しながら、読んでいく試みです。

では、始めましょう。

今日はお話に入る前、弦斎による序文と口絵につけられた説明です。

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食道楽 春の巻 口絵f:id:YOKOTANU:20151022015546j:plain

 

諸言

小説は食品のようなものである。味がよくても滋養のないものもあり、味は頼りなくてもでも滋養豊かな物もあり、私は常に後者を取って少しでも世の中にお役にたとうと思っている。しかしながら小説の中に料理法を掲載するのは懐石料理に牛肉や豚肉を盛るごとく、似合わないものではある。並々ならぬ料理人の努力の末に口にできたものの味を感じないということがあるものであろうか。世間の食道楽の人たちには酢豆腐を嗜み塩辛を嘗める物好きもいるようであるから私の小説の新しい味を喜ぶ人もいることであろう(レシピを小説中に掲載するのは懐石料理に肉を出すようなもので、小説としていかがなものかとは思うが、尋常ならざる努力の末に口にする料理と同じように、私が苦心して書くものも味わっていただきたい)。食物の栄養分はこれを消化できて吸収できなければ体に有用にはならない。さて、私の小説が読者の消化吸収していただけるかどうかは私の知るところとは言えないが。

明治36年(1903)5月

                          小田原にて村井弦斎

口絵 大隈伯爵家の台所

 巻頭の口絵に掲げたものは現在の上流社会における台所の模範といわれる牛込早稲田大隈伯爵家の台所で、山本松谷氏が腕を振るって写生した、本当の景色である。台所は昨年新築した時に作られたもので、この屋の主人の伯爵が和洋の料理に適用させようともっとも苦心された新考案の設備で、その広さ25坪、半分は板敷半分はセメントの土間で天井におよそ8畳分の硝子の明り取りがある。きわめて清潔なこと、調理器具の配置が整然としていること、立って働くのに便利なこと、鼠が入ってこないことと全体が衛生的なことはこの台所の特徴である。口絵を見る人は土間の中央に大きなストーブが据えられているのが見えるだろう。これは英国より取り寄せられた瓦斯ストーブで、高さ1.2m長さ1.5m幅60㎝、価格は150円であると言う。ストーブの傍らに大小の大釜が二つある。釜のこちら側に料理人が土間に立って壺を棚に載せており、料理人の前方には板で囲ってある中に瓦斯竈(ガスかまど)3基を置いてる。中央の置き棚に野菜類がうず高くかごに盛られているのはこの屋敷の名物といわれる温室で作られた野菜である。3月に瓜があり、4月に茄子があり、根菜葉物果実茎もの、どれ一つとして珍しくないものはない下働きの女中、給仕係の少女、それぞれその仕事についてことに当たっている。人も美しく、あたりも清潔である。この台所に入るものはまず、その目に明るく快い感覚を覚えるであろう。

 この台所では毎日平均50人前以上の食事と調理している。百人二百人の賓客があっても、千人二千人の立食を作るのも、見なここで事足りるのである。伯爵家ではたいてい一日おきくらいに西洋料理を調理する。和洋の料理、この設備によれば簡単に出来上がり、何の不便不足を感じることもない。この台所がここまで都合よく用途に適したのはストーブにもかまどにも瓦斯を用いたためである。瓦斯であるから薪や炭の置き場もいらず、煙突もいらず、鍋釜の底が煤に汚れる心配もなく、急を要するときもマッチ一本で思うように火力を得ることができる。物を炙ったり煮たりするにも火力が安定しているので、ちょっとその使用法になれれば失敗する恐れはない。費用は薪炭の時代には一日1円51銭必要であったが、今はガス代95銭を要するのみだ。すなわち一日56銭の得となる。とは言え、ガスの使用は費用の減少よりも、便利さと清潔と手数を省く点において大きな利益があると言える。

 文明の生活をしようという者には文明の台所が必要である。和洋の料理をしようというものはよろしくこの新しい考えを学ぶべきである。

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あー、長かった。

この当時、女性たちは着物を着て、座って台所仕事をしていました。床に座って脚付きのまな板を取出して大根なんか切っていたのですね。庶民はまだまだ井戸端で野菜とか洗って、長屋の外に七輪出して煮炊きして、いやいや普段のご飯は一日一回炊いて後は冷やごはんと漬物、みたいな食事が一般的だった時代。都市部の中産階級でようやくガスを使うようになった頃です。火を使いながら電気ポットでお湯を沸かしたり、電子レンジでチンしたりで時短するなど考えもつかない、何をするにも人手がいるし、家の中に水道を引いているかどうかもおぼつかないからいちいち動線が長くて時間がかかるし。口絵のような台所は当時の富裕層の中でも特に先進的な思想に基づいているものでしょう。夢の御殿何しろ25坪のキッチンですからその中に狭小住宅が2つも3つも建てられそうです。現代でも理想のキッチン。だって、家庭で「和洋」の料理をしているのは、まさに今の私たちですから。

弦斎は徒に美食や珍味のためにこの本を書いたのではありません。和食の足りないところを洋食で補い世界の料理の良いところを食に取り入れていこうという考えだったようです。ですから、この本の中には今の私たちから見ても役に立つことがいっぱいなのです。

というところで、第一回目の肝は「文明の生活をなさんものは文明の台所を要す」でしょう。我が家のキッチンは…文明が崩壊した後の台所のようです。25坪は望むべきもないので、せめて明るく快適なキッチンを目指そうと思いました。

つづく